「くじけな」という励まし

かなり前のこと、かなりくじけた気分だったある夜に、
そうだ、あの本を読むのはまさに今!と思い、
いつか読もうと思っていた、歌人枡野浩一さんによる詩集「くじけな」を Amazon で注文した。


くじけな

翌日早速本が届いたが、私のくじけた気分は解消してしまっていた。
それは喜ばしいことなのだけど、
うっすらと残念な気持ちになっていた。
私は、くじけた自分に酔いつつ「くじけな」を読みたかったんだなぁ。
我ながら、たいへんに甘ったれているのだった。

ここに、「くじけな」の5ページに書いてある文章を引用してみることにする。

 前向きなタイトルの本をみかける 
 たびに、くじけそうでした。勇気を
 出して立ち読みしてみては、こわく
 なって棚に戻したり。『くじけな』っ
 てタイトルの本をだしてみたい。
              (以下略)

詩のタイトルは、「くじけな」「夢をあきらめな」
「小さいことにくよくよする」「もう君を離さな」
「負けないて」など、
どこかで聞いたことがある前向き言葉から、
語尾の文字を取り除くなどしてアレンジを加えたもの。
タイトルをみただけでも、ふふっとココロの中で笑ってしまう。

枡野さんのこれらの詩は「くじけな」、「夢をあきらめな」と後ろ向きだけど、
彼の作品から、読み手に寄り添い、一緒に後ろをむいたり、うつむいたりしてくれるようなぬくもりを感じる。
落ち込んで後ろを向きたい気持ちでいっぱいの人に対して、一緒に後ろを向くことにつきあってくれるかのようだ。
彼の詩は、そのことによって読んだひとに最終的に前を向かせる力をもっているのだと思う。

私が一番好きなのは、「君は一人じゃな」。
タイトルを見て、爆笑。
本を読んでこんなに笑ったのは、中学生の時以来だった。
「じゃな」っていう語尾がいいなぁ。
これが「君は一人だね」だったら、だいぶカンジが違う。
これだと、冷たく相手を突き放しているような印象を持ってしまう。
でも、「じゃな」の方は、飄々としていておかしみがあるなぁ。ペーソスというものだろうか。
「君は一人じゃな、わしもじゃよ。
誰しもそうじゃよなぁ、ふはははは!」とかいう声が聞こえてきそうだ。
「君は一人だ」と「君は一人じゃない」は正反対の言葉のように見えるけど、両方ともその通りだ、と思う。
私は「くじけないで」の方は読んだことがないのだけど、
「くじけな」も「くじけないで」も、根底にあるものは一緒なんだと思う。


後半には、枡野氏が震災後に書いたという作品が収められている。前半と後半の間にある「なかがき」には、
「くじけないでというまっすぐな言葉が、こんな時は必要なのかもしれないと思いました。『くじけな』は、くじけたと思いました」という文章が載っている。
確かに後半の作品のトーンは、前半と異なっている。
私は、前半よりまっすぐな感じの後半も好きだ。

私、この本の「なかがき」の少し前に載っている作品「きっとうまくいくさ」の中の
「きっと馬喰い草」というフレーズに脱力というか、
ある意味かなりのダメージを受けて(笑)、うちのちびっこに
「ねぇ、今日『きっとうまくいくさ』っていう詩を読んだんだけどね...」とこの作品を紹介したところ、
息子は「わかった!『きっとだいじょうぶ!!』、
『きっと、台、丈夫!!』とダジャレをひらめいていた。