我ら、俗世間のゾーン

前回に続き、オザケンこと小沢健二のセカンドアルバム「LIFE」について。

このアルバムを初めて聴いた時は驚きました。
そのひとつ前のファーストアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」と
だいぶ違っていたから。

前作は文学的、内省的で、
人のこころの中の世界(大げさな言葉でいえば、世界をどういう風に捉えて向かい合うのか、
大人っぽくいえば、どう対峙するのか)を描いていると感じました。

一方で、この『LIFE』では、歌詞に使われている言葉はグッと俗っぽくなり、
歌の内容にも、よりリアリティが感じられます。
「君」と「僕」が毎日を送っている姿が、とてもわかりやすい言葉で具体的に歌われている!
その歌詞世界は、前作で「世界」と向かい合い直した「僕」が
実際に俗世間でどう生きていくのか、
その実践編とも解釈できそう。

前作になくて『LIFE』に強く感じるもの、
そう、それは俗っぽさ。
例えば「ドアをノックするのは誰だ?」では、
誰かの彼女だった「君」を 「僕」が ”サッと奪い去”り、
原宿とか、爆音でヒット曲が流れているスケートリンクなんかで
この上なく幸せな時間を一緒に過ごしている姿が描かれています。

他の人の彼女を奪って今はその人と楽しくデートとか、そういうことって、
ロックあるいはポップスの作品の中であまり描かれたこと、ないんじゃないかなぁ。
また、その「奪い去る」っていうフレーズが何度も歌われていたりします(数えてみたら4回)。
とても意識的に、俗世間っぽさを表現しているんじゃないかな、と思いました。
(続く)