「ズレ」と「真ん中」

しばらくブログをお休みしていました。
今日は、しばらく前に書いた一つ前の記事に関連して、
映画「のぼうの城」の主題歌「ズレてる方がいい」の感想などを書いてみたいと思います。

この曲に関して雑誌などに掲載された、エレカシ宮本さんへのインタビュー記事はどれも心に残っているのですが、ここでは週刊アスキーに掲載された文章(2012.11/13号)を引用させていただこうと思います。

 
 タイトルの『ズレてる方がいい』は映画との関連もありながら、結局は自分自身を肯定するための言葉。(中略)現実は恐ろしいけど、少しでも輝くところにいる自分を実感したいから、精一杯やるしがんばる。そして知恵や勇気を出し、美しい物やいい物を作ろうとする。でもそうするといろんなズレが生じてくる。でもズレてる自分は間違っていないし、本当の自分は世間とズレてていいんだと言いたいんです。


私はエレカシのこの作品を家で何度も聴いてから映画館に行ったのですが、
映画館で聴いて初めて、頭の中に「真ん中」という言葉が浮かんできました。

そうだ、これまでも宮本さんは、「真ん中を行け」ってことを歌ってきたんだ。
たとえば「シグナル」や「旅」といった作品の中で。
「穴があったら入いりたい」の歌詞にも「真ん中」という言葉がでてくる...。
「ココロの真ん中」かぁ。

そうか、世間の常識とか場の空気を考えたら「ズレてる」ことであっても、
自分のココロの真ん中にあるものに従って、堂々とその「真ん中」の道を行こうぜ、と宮本さんはいつも歌ってきたんだなぁ、と感じました。
その道って、歩き続けるには相当の覚悟が要る、戦いの道...。

この間朝日新聞で、この方も日々戦い続けているんだなぁ、と感じさせられる記事を読んだので、これまた一部を引用させていただくことにします。1/10付のオピニオン面、「うなずくだけなんて無責任」という見出しの、小島慶子さん(タレント・エッセイスト)へのインタビュー記事より。

 でもキャリアを積むうちに分かりました。局アナに求められるのは、会社の要求に忠実に働く出演者としての役割。(中略)
 ただ私は、作り手側のご都合主義や、内向きの帳尻合わせに同調するのは嫌でした。誰に何を話しかけるのか忘れたら、放送なんてむなしいだけ。(中略)
 私は自分が信じるものを大切にしたいのです。万人が共感する価値でなくても、錯覚かもしれなくても。私が希望を持って仕事をするために、それは必要なこと。生意気だ、空気読まない、めんどくさい。いろいろ言われたこともあります。(中略)
周囲に認められることだけに自分の幸せを求めていた、かつての自分よりは、今はずっと自由な心境で仕事をしています。


これって仕事だけでなく日常生活全てにあてはまる...。他の人や物事と、どう関係を結んでいくのか。「魂」という言葉を使うと大げさかもしれないけれど、自分の魂はどうしたがっているのか、自分の行動は自分のココロの真ん中にある思いから「ズレ」ているのかどうなのか。「ズレてる方がいい」と、この新聞記事に、そんなことを考えさせられました。