「のぼうの城」を観て

昨年の11/2から公開されている映画『のぼうの城』は、大ヒットにつきロングラン中、でも、そろそろ上映終了のようですね。私も、秋の終わり頃に観にいきました。

この映画の見所はたくさんありましたが、
その一つは、やはり主演の野村萬斎さんの演技だと思います。これが狂言で培った「型」をもっているひとの強みでありすごみなのか、とその演技にほれぼれしてしまいます。この芸は日本の宝だ・・・と心から思いました。

このお話は、史実をもとにしているそうです。
時は、豊臣秀吉が天下統一を目前としていた天正18年(1590年)。
豊臣方の最後の敵は、関東の覇者、北条勢だったそうです。
この映画には、豊臣軍と忍(おし)城との攻防戦が描かれていますが、
この忍城は、北条方の支城だったのだそうです。
その城を治めることになった「のぼう様」(「でくのぼう様」の意)こと成田長親(ながちか)が自分の想いにまっすぐに生きる姿や、周りの人達とのやりとりや戦いが、大きなスケールで描かれていました。

「のぼう様」の他に、私が特に惹きつけられたのは、丹波という人物です。
のぼう様の幼なじみだという彼は、忍城を治める成田家一の家老であり、
本能寺の変に乗じた戦では、北条氏に加勢した成田家の一員として活躍、
その武勇は豊臣方にも轟いていたのだそうです。
呼び名は「漆黒の魔人」。全身黒づくめの武者姿から名づけられたのだそう。何だかカッコイイ。
のぼうの城オフィシャルブック』に収められた、脚本の和田竜氏へのインタビュー記事によると、
登場人物の中でそこそこ資料が残っていたのが丹波で、
映画で描かれた戦いの後に高源寺という寺を建立し戦没者を供養した、というエピソードも史実なのだそうです。

丹波さん...それほどまでに武勇が轟いていたということは、戦いの中でたくさん敵の命を奪ってきたのだろうし、また、一緒に戦っていた仲間に関しても、朝、一緒にいた仲間がもう夕方には命を落としてこの世にいない、ということも数知れずあったのではないかと思います。
世の無常や、人の命について、いつもたくさんのことを感じてきた方なのではないか、と思います。きっと、私には想像もつかないような経験をしてきた方なのでしょう。
大きな戦いの後、戦で命を落とした人々を弔うために寺を建てた、ということを知って、本や映画の中の丹波さんが、実際に生きていた人物として、私にはとてもリアルに感じられてきました。

少し話は飛びますが、先月出たコミックス「3月のライオン」最新刊の中で、
将棋監修の矢崎八段が、コラムの中で将棋界の引退について
「自分はいつまで将棋を指すのかなあ・・・。なにか一生勝負漬けの人生というのも、充実感はあるのでしょうが、同時にいくらかむなしくも思うのです」と綴っているのを読んだ時、丹波さんのことが思い浮かびました。彼も同じような想いを強く抱き続けていたのだろうかと。

映画の最後に、エレカシによる主題歌が流れるなか、現在の行田市の様子が映し出されました。
忍城にちなんだ地名が書いてある標識や、そこで暮らす人々の日常の姿などを観ながら、この場所で長い時間が流れ、いろんなことが変化し、これからも変わっていくんだなぁ、と、時代の移り変わりに思いを馳せました。
のぼう様のように自分の想いにまっすぐに生きることって、なかなかできることではないし、時に命がけになってしまう難しいことだと思う。そう考えると、『のぼうの城』って、ちょっと神話的かも、とも感じました。