音楽はひらき、つないでいく

9.11から10年。
そして、3.11から半年。
今日は、各地で反原発のデモが行われる予定のようですね。

3.11の地震が起こった時、
私はかなり遅くとった昼食の食休み中で、音楽を聴いていた。
また、この3月、あの災害が起こる直前まで、
我が家ではグループ魂阿部サダヲさんの歌唱と
奇声と振り付けに心をわしづかみにされていて、
職務質問」を夢中で聴いたり歌ったりしていた。
音楽はいつも日常の中にあった。

あの地震原発事故の際、私のすんでいる地域では大きな被害はなかったけれど、
それでも、あの後しばらく音楽を聴く気分には到底なれなかった。
聞くところによると、多くの人がそのような状態だったようだ。

音楽は、災害の真っただ中や直後には演奏することもできないし
聴いてもいられない。そのような余裕がなくなってしまう。
生き延びるためには、まず安全確保を考えるのが普通だろう。
安全な場所で、食べ物・のみものを確保して、
食べて、水分を補給して、寝る所を用意して...。

でも、体だけでなく心も生き延びるためには、
音楽をはじめとする芸術は必要なんだ、と今回の災害で強く感じた。
被災地では多くの人々が音楽を求めていたときくし、
災害から数ヶ月後、エレカシが仙台で行ったライブの模様を
USTREAM で見た時、画面を通してだけど、 集まった人達が
心から音楽を求めていると感じた。
私も、6月にいったエレカシのライブが、今までになく心に残っている。
歌や演奏を通して、エレカシのメンバーが
会場にいる一人ひとりを心から励まそうとする気持ちが
いつになく強く伝わってきたのだった。

以前、立花隆さんと河合隼雄さんの対談を雑誌
(「考える人」 2008年冬号)で読んで、
ひとには集団欲、いいかえると人間関係欲というものがあると知った。
つながりを求めるのは人の本能なのか、と私は妙に納得したものだった。
つながりを感じること、築くことは、
こころにとって本当に必要なことなのだ。
芸術って、人にとって本当に必要なんだな、と
私はしみじみ思った。
なぜなら、芸術は自己表現であり、コミュニケーションだと思うから。

震災後、音楽雑誌で幾人ものアーティストが、
こんな時に音楽をやっていていいのだろうか、
と語っていた(その後、やはり自分にできるのは音楽しかない
という言葉もよく聞いた)。
アーティストではない私がいうのも何だが、
私は、ありふれた毎日の中にも、「こんな時」にも、
音楽、そして芸術は必要だと確信している。