「力弱い言葉」のパワー

"絶望の言葉 救いの力"という見出しが目をひいた。
2/13付けの朝日新聞夕刊の記事である。

その中で、頭木(かしらぎ)弘樹訳・編『絶望名人 カフカの人生論』という本が紹介されていた。
これは、作家カフカの人生観を表わした言葉を集めた、いわば "絶望の名言集" なのだそうだ。絶望名人って...。

頭木氏は、若い頃に難病を患っていたのだそうだ。
彼は医師の宣告を聞いて絶望を感じていた頃、どんな温かい言葉も耳に入らなかったけれど、カフカが綴った絶望に満ちた言葉に触れると「寄り添って一緒に泣いてくれる」ような感覚を覚えて、不思議とこころが落ち着いたのだそう(今は頭木氏、健康を取り戻したそうです)。
「前向きになるためには、一度、ネガティブな言葉が必要になる場合があると思うんです」と、この記事で氏は語っている。

たしかに、音楽を聴くこと一つをとっても、私もダークな気分のときはキラキラしたポップな曲は選ばないし、暗黒入ったマイナーコードの曲がしっくりくる。
力強くて前向きな言葉を聞きたくない気分のときも、たしかにあるな、と思う。
ある程度気持ちが落ち着いていないと、そんなポジティブ思考のメッセージってスーッとこころに入ってこないんだろうな。

私は、ポジティブで力強い言葉だけがひとを励ますわけじゃないってことを改めて感じると同時に、詩人銀色夏生さんのエッセイ『相似と選択』に載っていたある文章を思い出した。

   弱さの露呈は、人を感動させることがある。弱さすら、人を救うのだ。
   だとすれば、どんな側面もそうなりえるということだろう(P. 200より)。

「どの側面も」という所が、特にいいなぁ、と思う。
銀色さんの視点から出てきたことばって、いつも自由を感じさせてくれる。

それから、歌なんかでも、力強い歌声はプラスの評価をされるけど、
私は、力弱い歌声もいいな、と思う。曲によってだけど。

もうひとつ、この記事をよんで思い出した言葉を引用してみます。
よしもとばなな著『Q 健康って?』に載っていた、整体師・片山洋次郎氏の文章。
  
  〜でも絶望し切ることができれば、また希望が生まれる。生きているということはすごい!いつもそう思います(p.268)。
 

誰かのかなしみとか絶望から生まれたことばや作品は、ほかの誰かの絶望に寄り添い、「絶望し切る」プロセスの助けになってくれるのだろう。こわばった気持ちを、少し柔らかくしてくれて。そういうのも、コミュニケーションの力なのだろう。

それから、もう一つ思い出した話が。
以前、カフェ詩人の古賀鈴鳴さんのサイトで読んだのだけど、
ある人が、仕事で大きなミスをしてしまい、立ち直れず苦しい気持ちで過ごしていたある時、テレビでデーブ・スペクターが「案ずるより横山やすし」とダジャレを言っているのを聞いて気持ちがフッとラクになり、立ち直ったという...。
あるよね、そういうこと。多分、多くのひとにとっては立ち直るきっかけにはならないだろうけど、自分にとっては「!」と感じるような妙にぴったりの言葉に出会う、そんなすごい偶然みたいなことって。
なにがきっかけになるか、それはほんと、人それぞれだしケースバイケースで、理論とかじゃないんだなー、と思う。